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投稿者
名無しさん
投稿内容
(サハリン鉄道ツアー:最終回)
毎度長文にお付き合い頂き大変恐縮です。
いよいよ終盤です。
ユジノサハリンスク(旧豊原)に到着した寝台列車の旅も終わり、バスでホテルに向かう予定でしたが、複数の人から「風呂に入りたい」と声が上がり、ホテルにもユニットバスがあるが、ゆったり旅の疲れを流したいようで、通訳の高さんから、ロシア式の公衆浴場なら知っているところがあると、案内を引き受けてくれた。出発前にバスの外で故郷訪問ツアー参加の夫婦と現地の日本人らしき女性が立ち話をして、ちょっと待っていたのですが、夫婦が戻り高さんが、何かあったんですか?と訊いたら、女性は残留日本人で日本に一時帰国したいが、日本に親族がいないと許可が降りないと言う事情を聞いて、複雑で切実だったらしく、夫婦が、じゃぁ私達が親戚になってあげるから連絡ちょうだいーと、快諾してあげたそうで、皆から「良かったね」と拍手が湧きました。女性は泣きながら手を振って見送ってくれ、戦後の日ソ間の問題の根深さを垣間見たようでした。
バスは公衆浴場に着き、コンクリート打ちっ放しの、日本の田舎の温泉浴場みたいでした。
開店前だったが、日本の団体さんだからと特別に前倒しで開けてくれたそうです。
湯船が無く、大きなサウナスペース(ミストサウナ)で汗を流し、洗い場とシャワーブースがあり、そこで洗い流して出る立派な設備で、気分転換になりました。
次の日は機関区の見学で目玉はSLの勇姿のお披露目予定でしたが、釜のメンテナンスが遅れたとかで、SLは断念。私はソ連だから十分有り得ると思った。電車がたくさん留置していると言うより、メンテナンス工場がメインで、例のSLの姿もありました。
午後はバスで近郊のトーチャナ湖(日本名富内湖)の観光。サハリン南東部突端、中知床半島にある海跡湖。広く浅い砂浜と低い緑に囲まれた大自然と閑静な佇まいが素晴らしい。湖畔のバンガローで遅めの昼食。サハリンで一番観光地らしい所に来た印象。
翌日、いよいよ最終日。今度は列車でホルムスクへ向かいます。来た時と同じ客車だったが、大陸からのバイト乗務員の姿は無かった。序盤で伝え忘れましたが、この豊真線の郊外に別荘風の小さな家が点在して、訊いたら市民の別荘で、週末に別荘で自家農園で作物を育てながらのんびり過ごすのがステータスだと話していました。
ホルムスク港13時出港予定。少々時間があるので、町の散策する事に。通りでどこかで見たバスが過ぎて行く。よく見たら北海道中央バスの中古車で、カラーリングはそのままで、ボディーに英語でサハリンフットボールクラブと書いてあった。フットボールはロシア語でもサッカーの意味。クラブが中古車を購入したようだ。あの当時、ソ連の極東地方では、日本の中古車、特に寒冷地仕様になっている北海道の車に人気があったと言う。バスに見とれてると、地元の少年グループが人懐っこく近寄り、囲まれてしまった。日本の小中学校くらいの5人組。ボス的な年長の子が「シガレータ」と手を出してくる。シガレータとはタバコの事。当然、ニェット(無い、ノー)と二、三回拒否って分からせた。その代わり記念写真撮ってあげて、後日みんなに送るから紙に住所と名前書けと渡すと、素直に書いた。その紙をコピーして封筒に貼って出せば確実に届く。喜んでくれて、どこの国も地方の子は素直でいいなと思った。
時間が来たので、通関手続きをして船に乗る。来た時と同じサハリン9号だ。大型クレーンでコンテナが次々搭載され、日本との流通も多いようだ。午後1時(日本時間午前10時)出港。この日も好天に恵まれ、揺れも少なく、酔う事は無かった。船内のレストランでお別れの会が開かれ、全員の挨拶と旅の感想を思い思い発表した。私は学生時代からロシア語を勉強したつもりだったが、何せ勉強不足で本当の片言で、結局最後は片言の英語になってしまったのを一番後悔しました。今は飛行機の直行便でサハリンに行けるようになり、当時より安くなりました。
利尻、礼文の島がくっきり見え、なかなか見られないアングルと夕焼けが綺麗だった。稚内までもう少し、時計の針を3時間戻す。日本時間の午後6時、稚内港に入港。入国審査と税関は船内の簡易テーブルで済ませ、無事に日本初のサハリン鉄道ツアーの旅が終了した。ちょっと驚いたのは、知らない人達から「樺太(サハリン)行ってきたの」「樺太どうだった」と訊かれ、樺太からの引き揚げ者の人だった。自分等はツアー参加の機会に恵まれ、簡単に行けたが、引き揚げ者の人達はどんなに行きたかった事だろうと、行って初めて分かる事もありました。その後交流も緩和され、残留の人も日本からも故郷訪問実現した事でしょう。
後日、ツアーで仲良くなった仲間と交流会を持てるようになったのも収穫でした。
今は新千歳空港からもユジノサハリンスクとの直行便があります。しかし、昨今のコロナ騒動で一時休航措置が取られ、残念です。
早い終息を願いたいものです。
みなさん、長い長い紀行文にて失礼致しました。ありがとうございました。
(サハリン鉄道ツアー:完)
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