<

ハッテン相談室

ハッテンに関する質問、悩み相談はここで。


投稿を削除する

以下の投稿を削除します。パスワードを入力して[削除する]をクリックしてください。

投稿者
名無しさん
投稿内容
1992年7月、10日間のツアー、稚内発着の船便なのだが初の民間ツアーのせいか結構な価格でした。でも二度と無いチャンスと思い、奮発。旧ソ連当時のゴルバチョフ政権のペレストロイカ政策も追い風になり実現しました。
稚内のフェリーターミナルに即席の簡易税関が設けられ通関後、ソ連の貨客船(9000t)で午前9時出港、好天もあり快適だった。船内で主催者の挨拶と参加者の自己紹介。4人用の船室に二段ベッド2つあり、仮眠が取れて有難かった。約8時間で西海岸のホルムクス(旧真岡)港に現地時間夜8時(まだ明るい)入港。因みに時差はサマータイム中で日本より3時間進む。ほぼ同経度なのに不思議な感覚です。
クレーンや重機の多さから、大陸のシベリア鉄道と結ぶ積出港で栄えている町のようです。入国手続き後、サハリン上陸。地元に団体客用のホテルが無いので、貸切バスでサハリンの州都ユジノサハリンスク(旧豊原)に移動。未舗装の道を約2時間、町の灯りが見え始め、ようやく宿泊のホテルに到着。夜10時だが夕焼け空。日本は7時だからそんな感じ。現地の第一歩は町を走るトロリーバスを見て異国情緒を実感した。そしてこのホテルが今回のツアーの拠点になると知りました。移動の疲れで早々チェックインし、初日を終えました。

簡潔にしようと思ったが、やっぱり紀行文になっちゃいました。色気の無い話ばかりで恐縮ですが、次から印象的な事に絞ってお伝えしたいと思います。
パスワード